エッセイ

2016年06月24日

テーブル

代謝の悪い持ち主に似てか、私のところには何年も使いつづけているものがたくさんあります。
(単に、買い替えられないだけかも)以前ご紹介したミシンしかり、オーブンしかり。
数年前に壊れた冷蔵庫は結婚以来、何十年も働いてくれたし、同じく結婚した時に買った掃除機も
未だ現役です。

このテーブルは、結婚して最初に暮らした借家が手狭になって、次のもう少し広い借家へ引っ越した時に買ったもの。
確か「暮しの手帖」か何かに、狭い家ほどテーブルは大きいものを買いなさいと書いてあったのに、妙に感銘して購入を決めた記憶があります。
当時の我が家としては、金額的にもちょっと大きな買い物だったわけですが、お店で見た時に、どこかに小さなキズが付いていたのを見落とさなかった夫が、そのキズを口実に値切って、僅かばかりお安く手に入れられたことに満足したものでした。

その後、度々の引っ越しにもこのテーブルはついて回り、ある時は子どもが宿題を広げ、ある時はダイニングテーブルとして、また別の時には裁縫机として、ありとあらゆる用途に使われて来ました。
長い年月の間に、使い込まれ、たくさんのキズ、取れない汚れなどがつきました。最初についていたキズなど、もうどこにあったのか全くわかりません。
このテーブルとセットの4脚の椅子の布は一度張り替えてあります。

生活とともに刻まれたキズ、いつも我が家の暮らしの中心にあったテーブル。
これから、どんな歴史を見守っていくのだろう、たぶん人生の終わりまで一緒です。

essay-table

2016年04月22日

昭和レトロ

1970年代は、すべてが輝いていました。
終戦の混乱から脱して、国内が安定し、日本が高度成長に向かって歩み出した頃です。
大阪万博、ミニスカート、ロック、ヒッピー…。
既存観念の破壊、自由を求める若者たち、そんな中で多感な青春を過ごせたのは、
ある意味幸せだったかもしれません。

その頃、そんな社会のあらゆるよろしくない風潮を吸収すべく、私が多くの時間を費やしたのが
友人宅のT医院でした。
自宅兼用の大きな病院の芝生で犬と遊び、音楽を聴き、漫画やイラストを描いて過ごした日々。
ガラスケースに閉じ込めておきたいような日常は、今は遠くへ過ぎ去り、独り暮らす友人の
お母様は、家を閉じて引っ越されることになりました。

よく管理された、「昭和レトロ」と呼ばれるモノたちが残されました。
処分するにはあまりに勿体なく、お母様とご相談の上で私がそういったモノの第二の人生を
見つけるお手伝いをさせていただくことになりました。
こんな素敵なお仕事をいただけることを、本当に有り難いと思いながら、年代の重みを感じる
美しい家具、道具、日用品などとの対話を楽しんでいます。

写真は1ヶ月ほど前に撮った、T医院に咲く最後のモクレンの花です。

 

essay-showa

2016年02月13日

エルマーとりゅう

子育ての時代には、近所に図書館がありませんでした。
いちばん近い図書館は豊橋市の図書館で車で片道1時間もかかったため、
そうそう行けるものではありませんでした。
そのため、有志のお母さんグループで福音館の「こどものとも」をまとめて取り寄せて
みんなで分け合ったりしました。
「ぐりとぐら」も「だるまちゃん」も「ばばばあちゃん」も、リアルタイムで読みました。
お風呂から上がって布団に入って眠るまでの読み聞かせの時間は至福のひとときでした。
長い間保管されてた絵本は、今孫に読み継がれ、息子の家、娘の家を行ったり来たりしています。
次世代も、そろそろ絵本の時代が終わろうとしています。
お役目を終えて「エルマーとりゅう」のりゅうが私のところへ戻って来ました。
愛嬌たっぷりの、りゅう。青と黄色のしましまボディーに赤のアクセントがおしゃれです。
黄色い羽で空を飛びます。こんなりゅうとお友達になれたら、ほんと素敵です。
冒険ものの物語は、元気が出ますね。
りゅうさん、お疲れさま。これからは、一緒にゆっくり暮らそうね。

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2016年01月15日

リカさんのこと

本名は、Roderica Laymon ロデリカ・レイモン、といいます。

もう、30年以上も前のことです。
私たちは半島の先端の伊良湖岬で小さな民宿を営んでいました。
その頃、1艘のアメリカ籍のヨットが台風の被害を受けて、修理のために
伊良湖港に停泊していました。
そのヨットのオーナーがリカさんでした。
私がカタコトの英語を話せるのを知っていた伊良湖博物館のO氏がリカさんを
私の店に案内してくれたのが、リカさんとの最初の出会いでした。

ご主人が退職されたのを機に、リカさんはご主人とヨットで世界一周の旅をしていました。
以来、長い間の文通が始まります。
インターネットなどなかった時代です。
ある時は手書きで、ある時はタイプライターで書いた手紙をポストに投函します。
アメリカまで届くには、最低でも航空便で1週間かかりました。

リカさんは、とても素敵なおばあちゃんです。
私のいろいろな相談に、いつもとても親身になってアドバイスしてくれました。
前向きで、活動的で、新しいことにもどんどん挑戦しました。
パソコンが普及すると、インターネットも始めました。
ご主人が癌で亡くなってからも、手紙とメールの交換は続きました。

数年前に、リカさんの娘さんから突然のメールが届きました。
リカさんが倒れて、今は施設のお世話になっていること、記憶があいまいで
物事をちゃんと理解できないこと、など。
リカさんのパソコンの中にあった交友のあった人たちのアドレスへの
一斉送信でした。

その後、リカさんとは連絡が取れていません。
何度も、マチコ、遊びにいらっしゃいと声をかけてくれたのに、再会が果たせなかったことが
心残りです。
そして、今でもリカさんがいてくれたら、と思うことがたくさんあります。
会いたい気持ちで、いっぱいです。

rica-san

2015年09月16日

縄文

アンティークのキルトが縫われた1930年代も1800年代も超えて、我が家は今、縄文に夢中です。
学校の日本史の授業では「ふうん?」と、それほど興味もなかったのに、私の中で縄文が新しい。
確か弥生時代になって、大陸から稲作が伝わると富を蓄える者が出てきた…と習いましたっけ。
そう、縄文時代は富もなく財産もなく、みんなが平等。
狩りをしたり、木の実を食べたりして暮らしていました。

だからでしょうか。縄文の壺も土偶も、それらに描かれた模様も、みんな素晴らしいのです。
心を「無」にしないと、つくれない作品なのでしょう。
やさしさの中に力強さが溢れ、暖かさの中に造形の美が宿ります。

余計なものを持たず、ただ生きるためにだけ生きていた時代。
暑さも寒さも嵐も洪水もあっただろうけど、より自然に近くより神に近かった時代。

文明という鎧に守られてひ弱になった現代人の私は、縄文に戻ることは出来ないけど、
日々の暮らしの中であれこれ反省すれば、一歩縄文に近づけるのではないかと思う今日この頃です。

essay-jomon

2015年07月09日

渥美釜

私の住んでいるところは、愛知県渥美半島。
市町村合併で田原市となりましたが、数年前までは渥美郡渥美町という地名でした。

ここに古くから伝わる釜があります。
地元の土を用い、地元の松を燃やして焼く「渥美釜」です。
今でも有志の方々によって、その伝統が守られています。

これは、普段使わせていただいている渥美釜の茶碗。
手づくりの温かみが伝わる作品です。
こんな器で毎日食事ができる幸せ。

とても贅沢なことと思います。

essay-atsumigama

2015年06月01日

40年来の友だち

ナショナル・パナグリルっていいます。
出会いは、私がティーンエイジャーの頃。
ケーキ、というものが焼いてみたくて、父にねだって買ってもらったものです。

幼かった頃は、「おくど」でご飯を炊いていた時代です。
ガスが普及したのは、たぶん小学生になってから。
だから、グリルなんて最新鋭の調理器具でした。

真知子さん、これはグリルでお肉を焼いたり調理に使うもの、ケーキを焼く
オーブンとは違うんだよ、と知り合いのガス会社の元社長さんから教わるまで、
ずーっとこれでケーキを焼き続けました。
彼が中古のオーブンをプレゼントしてくれたのは数年前です。

以来、ケーキづくりはオーブンに譲りましたが、毎朝トーストはこのグリルで
焼いています。
それと、温度が必要なシュークリームの皮は、このグリルじゃないと駄目です。

トラブルもなく、40年。
壊れたら、泣いてしまいそうです。

 

essay-grill

2015年03月29日

季節が過ぎ去る前に

もたもたしているうちに、冬が終わろうとしています。

今年最後の餅をつくことにしました。
私のところでは餅米は栽培していませんが、ご近所から毎年大きな袋いっぱいを
いただきます。
お赤飯にしたり、おはぎをつくったり、とても重宝します。
餅はお正月にも搗きますが、それ以外にも食べたい時に搗いて冷凍保存しておきます。

ただ、お餅は寒い時のもの。
これからの季節はすぐにカビて、よくありません。
なので、これで今年はおしまいです。

タイムリーにやらなくちゃならないことが、たくさんあります。
お味噌も寒い時に仕込むものらしいので、初めての味噌づくりにも挑戦してみました。

季節を追いかけるのに、一生懸命です。

essay-omochi

2015年01月30日

お・ぜ・ん

アメリカのアンティークキルトは屋根裏部屋で眠っていたのを見つけたというケースが
よくありますが、こちらは私のところの農作業小屋の2階に保管されていた「お膳」です。
このセットが5客入った木箱が4個、全部で20客。

私が物心つくかつかなかった頃には、このお膳が村の集まりなどで実際に使われていました。
大勢の人に食事を振る舞うため、家族はその日の朝から準備にかかりきりでした。
今思えば大変な時代だったと思いますが、当時の農村は機械にも時間にも追われることなく、
のんびりしていたのでしょう。
婚礼も葬儀も、自宅で執り行った時代です。

このお膳で、いつかご飯を食べてみたいと思っていました。
折しも、去年の暮れに和室を片付けたので、いつもの持ち寄り会のメンバーに声をかけたところ、
あっという間に話がまとまって…。

さて、メニューはどうしようかと楽しく考えているところです。

essay-ozen

2014年12月24日

初ノエル

私じゃないんです。
去年、ロールケーキに凝っていた夫。初ノエルに挑戦しました。
バター不足が報じられる昨今、皆さんのところは大丈夫でしょうか。
このあたりは地元の中央牛乳さんの450グラム=1ポンドのバター(有塩無塩)が、かろうじて
手に入ります。
クリームは、チーズクリーム。

暮れには親しい友人に手づくりのお菓子と薔薇の花を届けるのが恒例になっています。
今年もいろいろあったけど、こうして感謝の気持ちが伝えられることに感謝。
毎年同じことが続けられることの幸せ。

地道に地味に、来年もぼちぼちとキルトを紹介していきたいと思っています。
変わらぬご支援を、お願いいたします。

essay-noel

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