エッセイ

2016年04月22日

昭和レトロ

1970年代は、すべてが輝いていました。
終戦の混乱から脱して、国内が安定し、日本が高度成長に向かって歩み出した頃です。
大阪万博、ミニスカート、ロック、ヒッピー…。
既存観念の破壊、自由を求める若者たち、そんな中で多感な青春を過ごせたのは、
ある意味幸せだったかもしれません。

その頃、そんな社会のあらゆるよろしくない風潮を吸収すべく、私が多くの時間を費やしたのが
友人宅のT医院でした。
自宅兼用の大きな病院の芝生で犬と遊び、音楽を聴き、漫画やイラストを描いて過ごした日々。
ガラスケースに閉じ込めておきたいような日常は、今は遠くへ過ぎ去り、独り暮らす友人の
お母様は、家を閉じて引っ越されることになりました。

よく管理された、「昭和レトロ」と呼ばれるモノたちが残されました。
処分するにはあまりに勿体なく、お母様とご相談の上で私がそういったモノの第二の人生を
見つけるお手伝いをさせていただくことになりました。
こんな素敵なお仕事をいただけることを、本当に有り難いと思いながら、年代の重みを感じる
美しい家具、道具、日用品などとの対話を楽しんでいます。

写真は1ヶ月ほど前に撮った、T医院に咲く最後のモクレンの花です。

 

essay-showa

2016年02月13日

エルマーとりゅう

子育ての時代には、近所に図書館がありませんでした。
いちばん近い図書館は豊橋市の図書館で車で片道1時間もかかったため、
そうそう行けるものではありませんでした。
そのため、有志のお母さんグループで福音館の「こどものとも」をまとめて取り寄せて
みんなで分け合ったりしました。
「ぐりとぐら」も「だるまちゃん」も「ばばばあちゃん」も、リアルタイムで読みました。
お風呂から上がって布団に入って眠るまでの読み聞かせの時間は至福のひとときでした。
長い間保管されてた絵本は、今孫に読み継がれ、息子の家、娘の家を行ったり来たりしています。
次世代も、そろそろ絵本の時代が終わろうとしています。
お役目を終えて「エルマーとりゅう」のりゅうが私のところへ戻って来ました。
愛嬌たっぷりの、りゅう。青と黄色のしましまボディーに赤のアクセントがおしゃれです。
黄色い羽で空を飛びます。こんなりゅうとお友達になれたら、ほんと素敵です。
冒険ものの物語は、元気が出ますね。
りゅうさん、お疲れさま。これからは、一緒にゆっくり暮らそうね。

essay-elmer

2016年01月15日

リカさんのこと

本名は、Roderica Laymon ロデリカ・レイモン、といいます。

もう、30年以上も前のことです。
私たちは半島の先端の伊良湖岬で小さな民宿を営んでいました。
その頃、1艘のアメリカ籍のヨットが台風の被害を受けて、修理のために
伊良湖港に停泊していました。
そのヨットのオーナーがリカさんでした。
私がカタコトの英語を話せるのを知っていた伊良湖博物館のO氏がリカさんを
私の店に案内してくれたのが、リカさんとの最初の出会いでした。

ご主人が退職されたのを機に、リカさんはご主人とヨットで世界一周の旅をしていました。
以来、長い間の文通が始まります。
インターネットなどなかった時代です。
ある時は手書きで、ある時はタイプライターで書いた手紙をポストに投函します。
アメリカまで届くには、最低でも航空便で1週間かかりました。

リカさんは、とても素敵なおばあちゃんです。
私のいろいろな相談に、いつもとても親身になってアドバイスしてくれました。
前向きで、活動的で、新しいことにもどんどん挑戦しました。
パソコンが普及すると、インターネットも始めました。
ご主人が癌で亡くなってからも、手紙とメールの交換は続きました。

数年前に、リカさんの娘さんから突然のメールが届きました。
リカさんが倒れて、今は施設のお世話になっていること、記憶があいまいで
物事をちゃんと理解できないこと、など。
リカさんのパソコンの中にあった交友のあった人たちのアドレスへの
一斉送信でした。

その後、リカさんとは連絡が取れていません。
何度も、マチコ、遊びにいらっしゃいと声をかけてくれたのに、再会が果たせなかったことが
心残りです。
そして、今でもリカさんがいてくれたら、と思うことがたくさんあります。
会いたい気持ちで、いっぱいです。

rica-san

2015年09月16日

縄文

アンティークのキルトが縫われた1930年代も1800年代も超えて、我が家は今、縄文に夢中です。
学校の日本史の授業では「ふうん?」と、それほど興味もなかったのに、私の中で縄文が新しい。
確か弥生時代になって、大陸から稲作が伝わると富を蓄える者が出てきた…と習いましたっけ。
そう、縄文時代は富もなく財産もなく、みんなが平等。
狩りをしたり、木の実を食べたりして暮らしていました。

だからでしょうか。縄文の壺も土偶も、それらに描かれた模様も、みんな素晴らしいのです。
心を「無」にしないと、つくれない作品なのでしょう。
やさしさの中に力強さが溢れ、暖かさの中に造形の美が宿ります。

余計なものを持たず、ただ生きるためにだけ生きていた時代。
暑さも寒さも嵐も洪水もあっただろうけど、より自然に近くより神に近かった時代。

文明という鎧に守られてひ弱になった現代人の私は、縄文に戻ることは出来ないけど、
日々の暮らしの中であれこれ反省すれば、一歩縄文に近づけるのではないかと思う今日この頃です。

essay-jomon

2015年07月09日

渥美釜

私の住んでいるところは、愛知県渥美半島。
市町村合併で田原市となりましたが、数年前までは渥美郡渥美町という地名でした。

ここに古くから伝わる釜があります。
地元の土を用い、地元の松を燃やして焼く「渥美釜」です。
今でも有志の方々によって、その伝統が守られています。

これは、普段使わせていただいている渥美釜の茶碗。
手づくりの温かみが伝わる作品です。
こんな器で毎日食事ができる幸せ。

とても贅沢なことと思います。

essay-atsumigama

2015年06月01日

40年来の友だち

ナショナル・パナグリルっていいます。
出会いは、私がティーンエイジャーの頃。
ケーキ、というものが焼いてみたくて、父にねだって買ってもらったものです。

幼かった頃は、「おくど」でご飯を炊いていた時代です。
ガスが普及したのは、たぶん小学生になってから。
だから、グリルなんて最新鋭の調理器具でした。

真知子さん、これはグリルでお肉を焼いたり調理に使うもの、ケーキを焼く
オーブンとは違うんだよ、と知り合いのガス会社の元社長さんから教わるまで、
ずーっとこれでケーキを焼き続けました。
彼が中古のオーブンをプレゼントしてくれたのは数年前です。

以来、ケーキづくりはオーブンに譲りましたが、毎朝トーストはこのグリルで
焼いています。
それと、温度が必要なシュークリームの皮は、このグリルじゃないと駄目です。

トラブルもなく、40年。
壊れたら、泣いてしまいそうです。

 

essay-grill

2015年03月29日

季節が過ぎ去る前に

もたもたしているうちに、冬が終わろうとしています。

今年最後の餅をつくことにしました。
私のところでは餅米は栽培していませんが、ご近所から毎年大きな袋いっぱいを
いただきます。
お赤飯にしたり、おはぎをつくったり、とても重宝します。
餅はお正月にも搗きますが、それ以外にも食べたい時に搗いて冷凍保存しておきます。

ただ、お餅は寒い時のもの。
これからの季節はすぐにカビて、よくありません。
なので、これで今年はおしまいです。

タイムリーにやらなくちゃならないことが、たくさんあります。
お味噌も寒い時に仕込むものらしいので、初めての味噌づくりにも挑戦してみました。

季節を追いかけるのに、一生懸命です。

essay-omochi

2015年01月30日

お・ぜ・ん

アメリカのアンティークキルトは屋根裏部屋で眠っていたのを見つけたというケースが
よくありますが、こちらは私のところの農作業小屋の2階に保管されていた「お膳」です。
このセットが5客入った木箱が4個、全部で20客。

私が物心つくかつかなかった頃には、このお膳が村の集まりなどで実際に使われていました。
大勢の人に食事を振る舞うため、家族はその日の朝から準備にかかりきりでした。
今思えば大変な時代だったと思いますが、当時の農村は機械にも時間にも追われることなく、
のんびりしていたのでしょう。
婚礼も葬儀も、自宅で執り行った時代です。

このお膳で、いつかご飯を食べてみたいと思っていました。
折しも、去年の暮れに和室を片付けたので、いつもの持ち寄り会のメンバーに声をかけたところ、
あっという間に話がまとまって…。

さて、メニューはどうしようかと楽しく考えているところです。

essay-ozen

2014年12月24日

初ノエル

私じゃないんです。
去年、ロールケーキに凝っていた夫。初ノエルに挑戦しました。
バター不足が報じられる昨今、皆さんのところは大丈夫でしょうか。
このあたりは地元の中央牛乳さんの450グラム=1ポンドのバター(有塩無塩)が、かろうじて
手に入ります。
クリームは、チーズクリーム。

暮れには親しい友人に手づくりのお菓子と薔薇の花を届けるのが恒例になっています。
今年もいろいろあったけど、こうして感謝の気持ちが伝えられることに感謝。
毎年同じことが続けられることの幸せ。

地道に地味に、来年もぼちぼちとキルトを紹介していきたいと思っています。
変わらぬご支援を、お願いいたします。

essay-noel

2014年10月05日

フォトブックプロジェクト

毎年秋には何かひとつ課題を決めて、プロジェクトに取り組んで来ました。
プロジェクトというと大げさかもしれませんが、仕事が終わってからの夜のひとときの
時間の使いみちみたいなものです。
そう、去年はひろ~いバラの花用冷蔵庫の二階を片付けて、キルトの写真を撮れるようにしたのでした。
2013年11月10日投稿の「舞台裏」をご覧下さいね。

今年は…と、言いますと。
子どもたちが小さかった頃撮りためた写真の、ネガフィルムが保管してありまして。
それをネガスキャンを使ってデジタルに変換し、そのデータからフォトブックをつくろうと
しています。

3人の子どもがいますが、家族のアルバムは長男の誕生日から始まる1年を1冊のアルバムに
まとめてあります。焼き増しはしていないので、1年1冊のアルバムは家族の共有財産です。
今回はそれを、それぞれの子の誕生日から始まる1年をその子の1冊に編集します。
上のふたりは男の子なので、写真を撮らせてもらえたのは、せいぜい小学校まで。
なので、ひとり10年間の10冊ぐらい。×3人なので、全部で30冊程度でしょうか。

数あるフォトブックの中から、このプロジェクト用に選んだのは「フォトプレッソ」。
1冊のページ数が200ページまでと大容量なのと、その割にお値段がリーズナブルだからです。
フォトプレッソのページは、こちら

1年間の写真枚数は、ひとりおおよそ50~150枚ぐらい。
デジタル化した写真の1枚1枚を、写真加工ソフトを使って加工するので、
結構大変な仕事です。
それにしても若かった頃の私の写真撮影の下手だったこと!
ピンボケ、逆光、構図の傾き…これじゃいくら加工したって良くなるわけないデス。

ついでに古くなったアルバムを修理したいと思ったのですが、
表紙が取れたり、背表紙が破れたりしたアルバムを眺めているうちに、この古さが
いとおしく思えて、さてどうしたものかと考慮中。

essay-album

魔女イメージ
  • アンティークキルト1930年代
  • アンティークキルト1800年代
  • キルトトップ
  • ショップ紹介
  • ご注文方法
  • エッセイ