エッセイ

2018年04月01日

チャック先生

去る3月29日、名古屋市で開催された「キルト&ステッチショー」で
野原チャック先生のトークショーがありました。
チャック先生は名古屋には何度か来られているようなのですが、私のアンテナが低くて
情報をキャッチできていませんでしたので、今回たまたまこのイベントを知ったのはラッキーでした。
そう、テレビの「なんでも鑑定団」で私のアンティークキルトを鑑定していただいた時
以来の再会です。

約30分のトーク。
チャック先生の日常のお話しや、キルトに至るまでの昔のお話しの中で
「良いキルトをつくって残しなさい」という言葉が印象的でした。
私と一緒にチャック先生のお話しに耳を傾けていた大勢の聴衆のみなさんも
それぞれ何かを持ち帰られたのではないでしょうか。

トークショーの最後に持参した花束を手渡し、その後で先生のアンティークキルトの本に
サインをいただきました。
良い一日でした。

essay-chuck

2018年01月30日

引っ越し

10数年来、思い続けた引っ越し。念願叶って、近所に中古住宅を購入しました。
Dee’s アンティークキルトショップはネットだけのお店ですので、
直接影響はないのですが。

アンティークのキルトが似合いそうな、古い家です。
今のところ、引っ越しの段ボールに埋まって生活しています。

落ち着いたら、またぼちぼちとキルトを紹介していきますので、
もうしばらく、お待ち下さいね。

 

essay-hikkoshi

2017年06月27日

京都・長楽館

以前、ネットか雑誌で見て訪れてみたいと思っていた長楽館。
先日、所用で京都へ行った折に東山の山裾にあるこの素敵な建物へ
足を伸ばしてみました。

宿泊は叶いませんが、カフェでお茶ぐらいなら大丈夫です。
ミルクティーとケーキのセット。
明治の洋館は、本当に魅力的です。ゆったりと時間が流れます。
この美しい建物が、かつて個人の所有だったと聞いて驚きました。
「べっぴんさん」のすみれの生家みたいです。
従業員の方も、みなさん笑顔で優しく接して下さって、
くつろぐことができました。

いつか宿泊ができると、いいな。
長楽館のホームページは、こちら

essay-chorakukan 

 

2017年05月29日

機織り機

山奥の古民家に住む夫の従兄弟のところにあった機織り機。
機織り機というものを見たことも触ったこともなかったけど、アンティークのキルトと
出会ってテキスタイル一般に興味を持つようになって、「紡ぐ」とか「織る」ということに
興味を持ち始めていた今日この頃。
なんとな~く心惹かれて、ついに持って来てもらいました。
埃だらけだった機織り機を今、洗って設置したところです。

さて、これからどうしたらいいのでしょう?

織りしも(折しも)近所の小学校で機織りの授業(クラブ活動?)をやっているとかで、
見学に行って来ました。
もともとこの地域は織物がさかんで、その昔は織った反物を伊勢神宮に奉納していたという
歴史があるそうです。
そんなこともあって、小学生が郷土について学ぶというプロジェクトの一環として、
機織りを体験しているということでした。
そこで子どもたちに機織りを教えていた先生に機織り機を見ていただいたところ
使えそうとのお墨付きをいただきました。
準備が整うまでの道のりは遠そうですが、また経過をこちらで報告できるといいと思います。

hataoriki

2017年03月11日

英語を勉強する理由(わけ)

「何のために、英語を勉強するの?」と聞かれます。
英語に限らず勉強ということが馴染まない年齢です。

少し前までは、
だって、いつかアメリカの大統領と話す機会があるかもしれないでしょ、
その時に自分のコトバで話すためにね、と答えていました。

今は、少し前にたまたまテレビで見た映画を挙げて
だって、ある日飛行機に乗ったらテロリストが他の乗客を皆殺しにして
私しか生き残ってなくて、管制塔の指示に従って飛行機を無事に着陸させる
ってことになるかもしれないじゃん(映画の中で管制官は英語で指示していた)
その時のためよ。
と、答えています。

なにはともあれ、退化しつつある脳に鞭を打ちつつ
辞書を引き、CDを聴き、構文を暗記するのであります。

essay-English

2016年12月26日

雑草

いろいろとやるべき仕事はあったのですが、その日は雨上がりで畑の土が程よく湿って草取りに最適だったため、夫とふたりキャベツ畑の草取りをすることにしました。
なるべく除草剤は使わない、と決めているため、畑は草の中にキャベツが植わっているような感じでした。ここはキャベツの生産量の高い全国シェアを誇る地域。畑という畑にはキャベツが並んでいますが、どの畑にも草1本生えてなくて見渡す限りうちのような畑はありません。
夕暮れて手元が見えなくなるまで草を取り、黄昏の中家へ戻って夕食を食べながらテレビをつけると、絵本作家の甲斐信枝さんが出ていました。
これまで、甲斐さんの絵本に出会ってはいましたが、絵本は知っていても作者については知りませんでした。テレビで見る甲斐さんは、なんとユニークなおばあちゃん!地面に這いつくばって、雑草の言葉に耳を傾け、また言葉を返します。
農家にとって宿敵とも言える雑草をこれほどまでに愛し、その存在に重きを置く人がいることに、まず驚きました。でも、彼女の言うことには不思議と共感できるのです。虫も雑草もそれぞれ与えられた場で懸命に生きている。ただね、人間もね困るんですよ、雑草が多いと虫がついてキャベツに穴が開き、生産性が落ちるのです。私も生きて行かなくてはなりません。せめて、畑の雑草を彼らと対話しながら手で抜くのは、彼らへの尊厳の気持ちです。この地球上の狭い1点で、同じ太陽の光を浴びながら、生きとし生ける者全てに、心からの賛辞を送ります。
たまたま(めったにしない)草取りをした日、テレビで甲斐さんのことを知ったのは神様からのプレゼントかな、と思いました。

essay-zassou

2016年06月24日

テーブル

代謝の悪い持ち主に似てか、私のところには何年も使いつづけているものがたくさんあります。
(単に、買い替えられないだけかも)以前ご紹介したミシンしかり、オーブンしかり。
数年前に壊れた冷蔵庫は結婚以来、何十年も働いてくれたし、同じく結婚した時に買った掃除機も
未だ現役です。

このテーブルは、結婚して最初に暮らした借家が手狭になって、次のもう少し広い借家へ引っ越した時に買ったもの。
確か「暮しの手帖」か何かに、狭い家ほどテーブルは大きいものを買いなさいと書いてあったのに、妙に感銘して購入を決めた記憶があります。
当時の我が家としては、金額的にもちょっと大きな買い物だったわけですが、お店で見た時に、どこかに小さなキズが付いていたのを見落とさなかった夫が、そのキズを口実に値切って、僅かばかりお安く手に入れられたことに満足したものでした。

その後、度々の引っ越しにもこのテーブルはついて回り、ある時は子どもが宿題を広げ、ある時はダイニングテーブルとして、また別の時には裁縫机として、ありとあらゆる用途に使われて来ました。
長い年月の間に、使い込まれ、たくさんのキズ、取れない汚れなどがつきました。最初についていたキズなど、もうどこにあったのか全くわかりません。
このテーブルとセットの4脚の椅子の布は一度張り替えてあります。

生活とともに刻まれたキズ、いつも我が家の暮らしの中心にあったテーブル。
これから、どんな歴史を見守っていくのだろう、たぶん人生の終わりまで一緒です。

essay-table

2016年04月22日

昭和レトロ

1970年代は、すべてが輝いていました。
終戦の混乱から脱して、国内が安定し、日本が高度成長に向かって歩み出した頃です。
大阪万博、ミニスカート、ロック、ヒッピー…。
既存観念の破壊、自由を求める若者たち、そんな中で多感な青春を過ごせたのは、
ある意味幸せだったかもしれません。

その頃、そんな社会のあらゆるよろしくない風潮を吸収すべく、私が多くの時間を費やしたのが
友人宅のT医院でした。
自宅兼用の大きな病院の芝生で犬と遊び、音楽を聴き、漫画やイラストを描いて過ごした日々。
ガラスケースに閉じ込めておきたいような日常は、今は遠くへ過ぎ去り、独り暮らす友人の
お母様は、家を閉じて引っ越されることになりました。

よく管理された、「昭和レトロ」と呼ばれるモノたちが残されました。
処分するにはあまりに勿体なく、お母様とご相談の上で私がそういったモノの第二の人生を
見つけるお手伝いをさせていただくことになりました。
こんな素敵なお仕事をいただけることを、本当に有り難いと思いながら、年代の重みを感じる
美しい家具、道具、日用品などとの対話を楽しんでいます。

写真は1ヶ月ほど前に撮った、T医院に咲く最後のモクレンの花です。

 

essay-showa

2016年02月13日

エルマーとりゅう

子育ての時代には、近所に図書館がありませんでした。
いちばん近い図書館は豊橋市の図書館で車で片道1時間もかかったため、
そうそう行けるものではありませんでした。
そのため、有志のお母さんグループで福音館の「こどものとも」をまとめて取り寄せて
みんなで分け合ったりしました。
「ぐりとぐら」も「だるまちゃん」も「ばばばあちゃん」も、リアルタイムで読みました。
お風呂から上がって布団に入って眠るまでの読み聞かせの時間は至福のひとときでした。
長い間保管されてた絵本は、今孫に読み継がれ、息子の家、娘の家を行ったり来たりしています。
次世代も、そろそろ絵本の時代が終わろうとしています。
お役目を終えて「エルマーとりゅう」のりゅうが私のところへ戻って来ました。
愛嬌たっぷりの、りゅう。青と黄色のしましまボディーに赤のアクセントがおしゃれです。
黄色い羽で空を飛びます。こんなりゅうとお友達になれたら、ほんと素敵です。
冒険ものの物語は、元気が出ますね。
りゅうさん、お疲れさま。これからは、一緒にゆっくり暮らそうね。

essay-elmer

2016年01月15日

リカさんのこと

本名は、Roderica Laymon ロデリカ・レイモン、といいます。

もう、30年以上も前のことです。
私たちは半島の先端の伊良湖岬で小さな民宿を営んでいました。
その頃、1艘のアメリカ籍のヨットが台風の被害を受けて、修理のために
伊良湖港に停泊していました。
そのヨットのオーナーがリカさんでした。
私がカタコトの英語を話せるのを知っていた伊良湖博物館のO氏がリカさんを
私の店に案内してくれたのが、リカさんとの最初の出会いでした。

ご主人が退職されたのを機に、リカさんはご主人とヨットで世界一周の旅をしていました。
以来、長い間の文通が始まります。
インターネットなどなかった時代です。
ある時は手書きで、ある時はタイプライターで書いた手紙をポストに投函します。
アメリカまで届くには、最低でも航空便で1週間かかりました。

リカさんは、とても素敵なおばあちゃんです。
私のいろいろな相談に、いつもとても親身になってアドバイスしてくれました。
前向きで、活動的で、新しいことにもどんどん挑戦しました。
パソコンが普及すると、インターネットも始めました。
ご主人が癌で亡くなってからも、手紙とメールの交換は続きました。

数年前に、リカさんの娘さんから突然のメールが届きました。
リカさんが倒れて、今は施設のお世話になっていること、記憶があいまいで
物事をちゃんと理解できないこと、など。
リカさんのパソコンの中にあった交友のあった人たちのアドレスへの
一斉送信でした。

その後、リカさんとは連絡が取れていません。
何度も、マチコ、遊びにいらっしゃいと声をかけてくれたのに、再会が果たせなかったことが
心残りです。
そして、今でもリカさんがいてくれたら、と思うことがたくさんあります。
会いたい気持ちで、いっぱいです。

rica-san

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