今の家に引っ越して、1年が経ちました。
引っ越した時に迎えてくれた水仙が、今年も花をつけました。
水仙の控えめな佇まいと、ふくよかな香りが大好きです。
あれから、前の住人がお庭に残してくれた球根類が次々に花を咲かせて
嬉しいサプライズが続きました。
その時々の花々が私たちを癒して元気づけてくれました。
この庭を眺めながら年を重ねられることの幸せを思います。
ディーズ アンティークキルトショップでは魅力的なアンティークキルトの数々を紹介しています。
古い時代のアメリカで愛する人のために1針1針縫われたキルトに、時代を超えて引き継がれる手仕事の温もりを
感じていただけます。
2016年4月にエッセイに投稿したT医院の友人のお母様は、去年の今頃にご病気で亡くなりました。
(2016.4.22「昭和レトロ」)
最期まで、広い自宅兼医院を管理され、芝生の手入れを行き届かせ、ひとりで何でも
された人でした。
その姿を、私も見習わなくてはと思ったものです。
亡くなる前の約1年は娘である友人宅で過ごし、今考えると身の回りのものを整理されて
逝かれたのだと思います。
先日1周忌に友人がこちらへ来られた際に、お母様が愛用されていたフロアランプを私にと
持って来てくれました。
医療用のもので、とても素朴でシンプルなライトです。
形見となってしまったそのライトを、部屋の片隅にひっそりと置きました。
去る3月29日、名古屋市で開催された「キルト&ステッチショー」で
野原チャック先生のトークショーがありました。
チャック先生は名古屋には何度か来られているようなのですが、私のアンテナが低くて
情報をキャッチできていませんでしたので、今回たまたまこのイベントを知ったのはラッキーでした。
そう、テレビの「なんでも鑑定団」で私のアンティークキルトを鑑定していただいた時
以来の再会です。
約30分のトーク。
チャック先生の日常のお話しや、キルトに至るまでの昔のお話しの中で
「良いキルトをつくって残しなさい」という言葉が印象的でした。
私と一緒にチャック先生のお話しに耳を傾けていた大勢の聴衆のみなさんも
それぞれ何かを持ち帰られたのではないでしょうか。
トークショーの最後に持参した花束を手渡し、その後で先生のアンティークキルトの本に
サインをいただきました。
良い一日でした。
以前、ネットか雑誌で見て訪れてみたいと思っていた長楽館。
先日、所用で京都へ行った折に東山の山裾にあるこの素敵な建物へ
足を伸ばしてみました。
宿泊は叶いませんが、カフェでお茶ぐらいなら大丈夫です。
ミルクティーとケーキのセット。
明治の洋館は、本当に魅力的です。ゆったりと時間が流れます。
この美しい建物が、かつて個人の所有だったと聞いて驚きました。
「べっぴんさん」のすみれの生家みたいです。
従業員の方も、みなさん笑顔で優しく接して下さって、
くつろぐことができました。
いつか宿泊ができると、いいな。
長楽館のホームページは、こちら。
山奥の古民家に住む夫の従兄弟のところにあった機織り機。
機織り機というものを見たことも触ったこともなかったけど、アンティークのキルトと
出会ってテキスタイル一般に興味を持つようになって、「紡ぐ」とか「織る」ということに
興味を持ち始めていた今日この頃。
なんとな~く心惹かれて、ついに持って来てもらいました。
埃だらけだった機織り機を今、洗って設置したところです。
さて、これからどうしたらいいのでしょう?
織りしも(折しも)近所の小学校で機織りの授業(クラブ活動?)をやっているとかで、
見学に行って来ました。
もともとこの地域は織物がさかんで、その昔は織った反物を伊勢神宮に奉納していたという
歴史があるそうです。
そんなこともあって、小学生が郷土について学ぶというプロジェクトの一環として、
機織りを体験しているということでした。
そこで子どもたちに機織りを教えていた先生に機織り機を見ていただいたところ
使えそうとのお墨付きをいただきました。
準備が整うまでの道のりは遠そうですが、また経過をこちらで報告できるといいと思います。
「何のために、英語を勉強するの?」と聞かれます。
英語に限らず勉強ということが馴染まない年齢です。
少し前までは、
だって、いつかアメリカの大統領と話す機会があるかもしれないでしょ、
その時に自分のコトバで話すためにね、と答えていました。
今は、少し前にたまたまテレビで見た映画を挙げて
だって、ある日飛行機に乗ったらテロリストが他の乗客を皆殺しにして
私しか生き残ってなくて、管制塔の指示に従って飛行機を無事に着陸させる
ってことになるかもしれないじゃん(映画の中で管制官は英語で指示していた)
その時のためよ。
と、答えています。
なにはともあれ、退化しつつある脳に鞭を打ちつつ
辞書を引き、CDを聴き、構文を暗記するのであります。
いろいろとやるべき仕事はあったのですが、その日は雨上がりで畑の土が程よく湿って草取りに最適だったため、夫とふたりキャベツ畑の草取りをすることにしました。
なるべく除草剤は使わない、と決めているため、畑は草の中にキャベツが植わっているような感じでした。ここはキャベツの生産量の高い全国シェアを誇る地域。畑という畑にはキャベツが並んでいますが、どの畑にも草1本生えてなくて見渡す限りうちのような畑はありません。
夕暮れて手元が見えなくなるまで草を取り、黄昏の中家へ戻って夕食を食べながらテレビをつけると、絵本作家の甲斐信枝さんが出ていました。
これまで、甲斐さんの絵本に出会ってはいましたが、絵本は知っていても作者については知りませんでした。テレビで見る甲斐さんは、なんとユニークなおばあちゃん!地面に這いつくばって、雑草の言葉に耳を傾け、また言葉を返します。
農家にとって宿敵とも言える雑草をこれほどまでに愛し、その存在に重きを置く人がいることに、まず驚きました。でも、彼女の言うことには不思議と共感できるのです。虫も雑草もそれぞれ与えられた場で懸命に生きている。ただね、人間もね困るんですよ、雑草が多いと虫がついてキャベツに穴が開き、生産性が落ちるのです。私も生きて行かなくてはなりません。せめて、畑の雑草を彼らと対話しながら手で抜くのは、彼らへの尊厳の気持ちです。この地球上の狭い1点で、同じ太陽の光を浴びながら、生きとし生ける者全てに、心からの賛辞を送ります。
たまたま(めったにしない)草取りをした日、テレビで甲斐さんのことを知ったのは神様からのプレゼントかな、と思いました。
代謝の悪い持ち主に似てか、私のところには何年も使いつづけているものがたくさんあります。
(単に、買い替えられないだけかも)以前ご紹介したミシンしかり、オーブンしかり。
数年前に壊れた冷蔵庫は結婚以来、何十年も働いてくれたし、同じく結婚した時に買った掃除機も
未だ現役です。
このテーブルは、結婚して最初に暮らした借家が手狭になって、次のもう少し広い借家へ引っ越した時に買ったもの。
確か「暮しの手帖」か何かに、狭い家ほどテーブルは大きいものを買いなさいと書いてあったのに、妙に感銘して購入を決めた記憶があります。
当時の我が家としては、金額的にもちょっと大きな買い物だったわけですが、お店で見た時に、どこかに小さなキズが付いていたのを見落とさなかった夫が、そのキズを口実に値切って、僅かばかりお安く手に入れられたことに満足したものでした。
その後、度々の引っ越しにもこのテーブルはついて回り、ある時は子どもが宿題を広げ、ある時はダイニングテーブルとして、また別の時には裁縫机として、ありとあらゆる用途に使われて来ました。
長い年月の間に、使い込まれ、たくさんのキズ、取れない汚れなどがつきました。最初についていたキズなど、もうどこにあったのか全くわかりません。
このテーブルとセットの4脚の椅子の布は一度張り替えてあります。
生活とともに刻まれたキズ、いつも我が家の暮らしの中心にあったテーブル。
これから、どんな歴史を見守っていくのだろう、たぶん人生の終わりまで一緒です。