エッセイ

2024年07月09日

半世紀

山肌をジグザグに登って行く「箱根登山鉄道」は別名「あじさい電車」とも
呼ばれています。6月7月になれば、線路の両側に色とりどりのあじさいが
花を咲かせます。
その箱根登山鉄道に乗って、箱根彫刻の森美術館へ行ったのは1975年の7月でした。
彫刻の森は、7万平方メートルの森の中に120点の屋外彫刻が配置された
オープンエアミュージアムです。
私は当時、東京の短大で英語を学ぶ短大生、同郷の夫は同じく東京の予備校に
通う浪人生でした。結婚は、していませんでした。
どういう経緯で、箱根へ行ってみようと思ったのか、よく覚えていません。
ただ、歳を取ると妙に昔のことが懐かしく、ここ数年もういちど彫刻の森へ
行ってみたいという思いが高まっていました。
それも49年前と同じ、あじさいの咲く季節に。
まだよぼよぼではないけれど、同じ年の人が病気になったり亡くなったりするのを
聞くと、「できる時に」という思いはいろいろなシーンで考えます。
それで、思い切っての日帰り旅行。
あの頃と変わったのは、外国人旅行者が増えたことかな。
49年前に撮った写真のデータを持って行って、同じ場所の同じアングルで写真を
撮りました。帰宅後、その写真を見比べて半世紀の歳月の長さを思います。
この写真は49年前のもの。若い子も、いつかおばあちゃんになります。
1930年代のキルトは、誕生から約1世紀ですね。

essay-hanseiki

2024年05月17日

絵本のたのしみ

月刊で発行されていた(今もされている?)福音館書店の「こどものとも」「かがくのとも」
「たくさんのふしぎ」。
子どもが小さかった頃は今のように図書館はなく、近くに書店もなかったので、
お母さんたちのグループでまとめて取り寄せて何人かの代表が人数分をもらいに行って配るという
不合理なシステムが、なつかしい思い出です。
発行された本が毎月届くので、好きな本を選べない反面、思いがけない出会いもありました。
ほりうちせいいちさん、かこさとしさん、谷川俊太郎さん、田島征三さん、佐々木マキさん、
佐野洋子さん、織茂茂子さん、さとうわきこさん、林明子さん。
もっともっと、たくさんの作家さんたち。今は故人となった方もおられますが、
そういう偉大な人たちの偉大な作品をリアルタイムで手にして読んだという事は、ある意味貴重な
体験でした。
絵本がひとつの作品として評価されるとすると、そこに高い芸術性を感じます。
というか、そんな堅苦しい表現よりも、私は絵本が大好きで抱きしめたくなるほど愛おしいのです。
そして、読み聞かせをして育った息子の奥さんは保育士で、一緒に絵本の話ができる
素敵なお嫁さんです。
その嫁が持っている本も合わせて、この度ひとまとめにしました。
数が多すぎて、なつかしい本やらあまり記憶に残っていない本が混在しているのですが、1冊1冊を吟味して
整理しようという計画が今目の前にあります。
今流行りの終活、断捨離と言えない事もないのですが、もっともっと奥深い意味があるような気が
します。人生の中で、絵本は何度も豊かな時間を与えてくれます。
*タイトルの「絵本のたのしみ」は、子どものともについていた付録の冊子のタイトルです。

essay-ehon

2023年10月23日

キルトトップとの再会

この仕事を始めたのはいつだったか、明確に思い出せません。
15年前?20年前?,,,なので、調べてみました。2003年、ちょうど20年前でした。
この頃からキルト&キルトトップを買って下さっていた広島のはりねずみさんが
美術館でご自身が仕上げたキルトの展示をされるというので、行ってきました。
お付き合いは長いけど、お互いに会った事もなく写真を交換した事もなく
まったくの初対面でした。こういう関係が成り立つネット社会は摩訶不思議です。
名古屋から夜行の高速バスに乗って朝、広島駅につき、そこから電車で2時間。
さらにそこからタクシーという強行スケジュールを老いたこの身がちゃんとこなせるかと
心配でしたが、無事に会場に着くことができました。
そこで私を待っていたのは、生まれ変わったキルトトップたち。
ぼろぼろだったキルトもきちんと修復されてそこにありました。
修正されて、きちんと作品になったキルトトップたちは、立派に成長した我が子のよう。
そんな作品と対面しているうちに、はりねずみさんがいらして感動の対面。
それからはキルトの話で盛り上がって、時間も忘れて楽しいひとときを過ごしました。
私のところから巣立って行った他のキルトトップたちも、キルターさんの手できっと
素晴らしいキルトになっていることでしょう。
いつも、こうしたキルトトップたちに会いたいと思っていました。
トップを縫われた遠い時代のアメリカのキルターさんも、日本で美しいキルトに仕上がった
姿を見たら、きっと喜んでくれることでしょう。
時代も距離もあまりに遠くて、キルターさんとキルトの再会は叶わないでしょうが、
素晴らしいお仕事をしてくださる全ての日本のキルターさんに心から感謝します。

はりねずみさんのブログ「はりねずみの小さな暮らしと針仕事」は、こちら

essay-harinezumi

2023年07月23日

糸紡ぎ

思うに時代が進むにつれて、自分でする事が少なくなってきているような気がします。
昔は生活のほとんどの部分を自分でやっていたけど、職業の細分化が進んで
プロに任せる事が多くなりました。
通信も流通も発達したおかげで、例えばネットで欲しいものを探して「ポチ」
すれば、次の日には運送屋さんのトラックが自宅に届けてくれる時代。
結婚式も葬儀も、はたまた介護も、すべて少し前まで家でやっていた事が
今ではほとんど業者任せ。
世の中便利になって、合理的になって、スピーディーになって
ある意味、お金さえ出せば何でも出来ちゃう昨今。
プロに頼めば、素人には出来ない技術で素晴らしく仕上げてくれるけど
こちらの希望と僅かなところで違っていたるする場合もある事がデメリット
です。
そして、プロのような完璧な出来栄えにはない失敗とか
未熟さに却って魅力を感じたりします。
そんなこんなで、いろんなことを下手なりに自分でやってみようと
思ってしまう私です。結果、うまくいくこともいかないこともありますが、
つくるその過程も楽しかったりしますよね。
で今回、無謀にも糸を紡いでみたいと思いました。
友人宅の倉庫に糸車が眠っているのを、実は知っていたのです。
思い切ってお願いして、最初は貸してもらうつもりだったのですが
なんと下さることになりました。
綿の種も蒔きました。
蒔いた綿の種は45粒なのに生えたのは10粒だけ。
アメリカ南北戦争時代の南部の綿花のプレンテーションには程遠い?
糸車だって、どうやって使うのかわかりません。メンテナンスも必要みたいです。
前途多難ですが、やってみなくちゃ始まりませんよね。
糸を紡いたら、次は機織り。機織り機がスタンバイしています。

essay-itoguruma

2023年04月18日

足踏みミシン

固定電話が鳴って、出た相手は兵庫県在住のKさん。
Kさんは私の地元出身で子どもの頃に暮らした家が空き家となって
近所に残っています。
法事の時などに時々やって来て、家の片付けをしているようです。
電話の要件は、「足踏みミシン、欲しい?」
「欲しいです、もちろん!」
私が幼かった頃には家に足踏みミシンがありました。
メーカーは何だったか忘れたけど、黒色の艶々の本体に赤とゴールドの
美しい模様が描かれていたのを覚えています。
当然いろいろな機能などなく、できるのは直線縫いのみ。
でも、すこぶる調子よくこれで学校の家庭科の宿題をやったり
自分で何かつくったりしたものでした。
いつの間にかなくなってしまった我が家の足踏みミシン。
きっと、進学や就職、結婚などで家を離れていた間に捨てられてしまったのでしょう。
古いものに興味を持つようになってから、足踏みミシンは私の憧れでした。
足踏みミシンを販売しているサイトをブックマーク登録して、時々見に行ったりも
していました。
それが、今回向こうから話がやって来たのです。何という幸運!
というわけで、足踏みミシンが家にやって来ました。
ただ、メンテナンスが少々必要でまだ使っていません。

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2023年02月03日

節分

厳しい寒さが続いています。
そんな中にも12月の冬至を境に陽足は少しづつ伸び始め
光が春らしくなって来ます。
そして、2月の節分、3月のお節句と「節」のついた暦が続いて
春へと一歩一歩進む気配が感じられます。
冬には冬の楽しみもあるけど、やっぱり寒いのはイヤ。
春を待ちわびる人々の気持ちがこうした行事となって
引き継がれているのですね。
今日は、節分。
田舎の農家に育ちましたので、小洒落た季節行事などとは
縁がありませんでしたが、節分には豆を撒いて、歳の数だけ
炒った大豆を食べました。
子どもの頃は7粒8粒の固い大豆も無理して食べましたが、
今となっては多すぎて、もう無理ですね。

essay-setsubun

2022年08月19日

一生モノ

高校を卒業して東京の短大に進学した時、最初の3ヶ月は叔父の家から
通学しました。叔父は練馬に住んでいたので、東武東上線で池袋まで出て、
そこから山手線で新宿へ、新宿から小田急線に乗り換えての道のりでした。
1時間を越える通学時間だったと思いますが、高校生だった頃は農道を
てくてく歩いて通学していましたので、見るもの全てが新しくわくわくしました。
特に帰りは池袋駅にふたつのデパート、東武デパートと西武デパートががあったため、
そのデパートをぶらぶらして帰るのが日課でした。
たまに気に入るものが目につくと、それを買って帰りました。
そんな私を見て、叔父は「必要なものは買ってもいいが、必要でないものは
買わないように」と釘をさしました。
でも、言い訳する訳ではありませんが、要らないものはそれほど買わなかったと
思います。妖精のような、襟元にレースがついた水色のパジャマは劣化して、
購入後何年か後には捨てましたが、写真のライトはこの頃買ったもの、
それに写真映えしないのでここでは紹介しませんが、やはりこの時代に買った
木目調のゴミ入れは今も寝室で使っています。
思いもかけないものが長持ちします。まさに一生モノです。
その後、通学時間の長さに耐えかねて、学校の近くに下宿しました。

light

2022年07月03日

しつけ糸は、エライ

縫い物をしていて、つくずく思うのです。しつけ糸は、エライと。
正しく縫えるようにガイドして、重要な仕事をしているにもかかわらず
役割が終わると跡形もなく消えてゆく…。
しつけ糸が無くては、何もできません。

写真は、Cath Kidston の布で製作中の掛け布団カバー。

essay-shitukeito

2022年02月28日

ショッピングモール

私の住む渥美半島は愛知県の南部に東西に伸びる小さな半島です。
南は太平洋、北は三河湾、西は伊良湖水道と三方を海に囲まれています。
半島の旧3町が合併して田原市になりましたが、以前この辺りの地名は渥美町、
その中心は福江で、かつて港町として栄えたところです。
福江港は波が穏やかな三河湾側にあって、つまり半島の北側にあって、
港を中心に商店が並ぶ街道がありました。
肉屋、魚屋、洋服屋、呉服店、文房具店、床屋、郵便局、遊郭のなごりを残す
楼という名のついた旅館などがありました。
そんな商店街に大きな変化が起きたのは1970年頃、町で初めてスーパーマーケットを
含むショッピングモールが誕生したのです。
世の中にスーパーマーケットというものが出来始めて、その波が小さな半島にも
押し寄せたのです。街道にあった個人商店の何軒かが、そのモールに入りました。
以来、このショッピングモールは旧渥美町の消費の中心となります。
私が中学か高校の頃のことでした。余談ですが、このショッピングモールの名前と
ロゴマークを公募することになり、ロゴは私と私の友人が揃って応募したのですが
友人の作品が見事採用されて、私は落選、記念品として石鹸セットか何かもらったと
記憶しています。
しかし、何事も始めがあれば終わりがあり、町にも色々なスーパーが出来始め、
このショッピングモールは今年3月までで姿を消すことになりました。
子どもの頃の商店街の賑わい、その後のショッピングモールの繁栄と衰退を見るにつけ
時代とともに世相も移り変わっていくものだと一抹の寂しさを感じながら思っています。

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2022年01月18日

おばあちゃんのキルト小さいバージョン

もう何年も前から縫っている、おばあちゃんのキルト。
私の祖母が遺した布に黒の木綿を足して、三角繋ぎにしてみました。
トップだけ仕上げてそのままになっていたのを、1~2年前からぽつりぽつりと
キルティングを始めました。
実は、このキルトにはおまけがあって、同じパターンで小さいバージョンがつくって
あったのでした。(トップのみ)
やはり祖母に可愛がられていた私の娘にと思ってつくってみた小さいバージョン
全て思いつきで行動する私が思いつきで去年のこと、クリスマスプレゼントにしようと
大きいバージョンのキルティングを中断して、10月頃からこちらのキルティングを始めました。
クリスマスまでには余裕で仕上がると思っていたのですが、年末が近づくにつれて
雑用が増えて、イブに間に合いませんでした。
25日が本当のクリスマスだからいいかと、勝手にこじつけて1日遅れで送りました。
ショップに来てくださる皆さんは、優れたキルターさんばかりなので
写真をアップするのもはばかられましたが、見て笑って下さい。
そういえば、慌てていたので写真を撮るのがやっと、完成した時のサイズも計っていません。
娘には捨てられるか返されるかと未だ心配です。

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