エッセイ

2026年02月03日

毛糸紡ぎ機

ここしばらく、羊毛から毛糸を紡ぎたいという思いに駆られています。
紡ぎ機で毛糸を紡いでいるのを見た事はありますが、その時はスピードが早すぎて何がどうなっているのか
どこがどう動いているのか、全くわかりませんでした。
もちろん、自分でやってみたことはありません。紡ぎ機にさわった事も、ありません。
知っている人が毛糸紡ぎをしている訳でもなく、今のところ全く孤軍奮闘(またやってないけど)
という感じです。
「まずは、紡ぎ機だ」と思って調べたら、ニュージーランドのアシュフォード社の紡ぎ機が
日本でメジャーなんですね。
ふ〜ん、ニュージーランドねえ。さすが羊の国。
私にはニュージーランド人の友人がいます。今はアメリカ在住。
彼女を訪ねてニュージーランドへ行った事もあります。
何か繋がらないかと思って調べたら、ニュージーランドには日本のヤフオクやメルカリの
ようなネットオークションのサイトがありました。
そこで糸紡ぎ機で検索をかけると、ありました。中古の紡ぎ機が何台か、格安で出品されています。
まずはそこのIDを取って入札するというのが、普通に考える手順です。
しかし、このニュージーランドのネットオークション、IDを取ることができるのは
ニュージーランドかオーストラリア在住の人だけなんだそうです。オークションサイトの
管理者から直接聞きました。IDが欲しかったら、引っ越してきなさいと言われました。
は???。
しかも、紡ぎ機は大きいせいか、引き取りのみがほとんど。国内発送可能なのもありますが
数は少ないです。海外発送なんて、とんでもない。
これでは、自分でID取っての入札は無理です。
そんな時、たまたまニュージーランド人の友人の故郷から出品されている紡ぎ機を見つけ
ました。なんという偶然!何とかならないだろうかと思って、今はアメリカ在住の友人に
相談しました。(彼女は目下オーストラリアを旅行中)
彼女の故郷には彼女のお姉さんが住んでいます。そのお姉さん、ネットオークションの達人
なんですって。それで、お姉さんが代理入札してくれる事になりました。
実はこのお姉さんにはニュージーランドを訪ねた時に何度か会っています。
お姉さんは旦那さんと一緒に紡ぎ機を見に行ってくれました。ニュージーランドから日本への
おおよその送料も試算してくれました。旦那さんが分解して送ってくれるそうです。
ありがたいです。でも、私からお姉さんへの落札代金と送料の支払いはどうするんでしょ。
数年前まではニュージーランド銀行の東京支店というのがありました。その後、この銀行は
オーストラリアニュージーランド銀行と名前を変えて(合併吸収)、日本では法人だけを顧客に業務を
行っていましたが、それも今は撤退してしまったようです。
この事で助けになってくれたのは、娘さんがニュージーランドに留学中の、ご近所のKさん。
娘さんへの仕送りはどうしているのと聞いたら、wiseというサイトがあって、そこから送金できるん
ですって。
準備万端で迎えたオークションの終了日。日本時間で午後4時の終了。
金額をいくらまで入札するかについては、他の糸紡ぎ機の相場を見て、その倍の値段に設定しました。
携帯を握りしめる私。他のオークションの例に漏れず、価格は終了の数分前から上がり始め、
私の設定価格を超えてしまいました。
オーストラリアでオークションを見守っていたニュージーランド人の友人から「どうする?」と
聞かれ、さらに50ドルを追加。その時点で、他の紡ぎ機に比べてかなり高い値段になっていました。
お姉さんともうひとりの入札者との戦いが繰り広げられて、結果,,,負けました。
本当なら、ニュージーランドから糸紡ぎ機を買いました、とここで意気揚々と報告するはずだった
んですけどね。その文面もシュミレーションしていたんですけどね。
ま、オークションなんて、そんなもんです。オーストラリアとニュージーランドと日本を繋いで
繰り広げられた落札劇。楽しかったです。そして、私のために尽力してくれたお姉さんに感謝。

*ニュージーランドにはこのネットオークションに代理入札して落札した商品を日本に
送ってくれる会社があります。(日本語対応可能)

 

essay-spinningwheel

2025年08月26日

平和食堂

幼い頃、祖父は豊橋市の市民病院にかかっていて、定期的に受診に
行っていました。私はお供で、時々ついて行きました。
家から豊橋市の市民病院までは路線バスで片道約1時間かかり、結構遠い道のりでした。
その頃の豊橋駅は駅前に小便小僧の噴水、手前に丸物百貨店と言えば、同年代の人
は懐かしく思い出すのではないでしょうか。
市民病院も今は郊外に移転しましたが、その当時は駅から歩いて10分ほどの市中に
あって、病院の玄関を入ると下足番の人がいました。
下足番にそれまで履いていた靴を渡すと、代わりに上履きのスリッパをくれたものです。
診察が終わると、お昼ご飯は決まって近くの「平和食堂」で食べました。
小学校の低学年だった私が何を食べたか覚えていませんが、きっとカレーライス
か何かだったのでしょう。
大人になってからも豊橋へ行く度に、その平和食堂は目に入っていました。
ただ、街中で駐車場もなかったので、お昼を食べる時はついつい駐車場つきの郊外の
お店を選んでいました。
年を重ねると、無性に昔の事が懐かしくなるものです。
今年○○歳になり、市から公共交通機関で使えるチケットをいただいたので、
車で最寄りの駅まで行って、駐車場に車を預け、そこからは電車で豊橋駅に向かいました。
平和食堂は何十年も変わらず、そこに佇んでいます。
タイムスリップしたような気持ちでドアを開けて、席につきました。
お店は満員で、相席もありました。頼んだのは本日のランチの味噌カツ丼。
美味しかったです。
「平和食堂」・・・豊橋は戦争中大きな空襲があって、焼け野原となった事がありますので
戦争が終わった時に恒久の平和を願って、その名前をつけたのでしょうか。
それにしても、競争が激しい飲食店の中で何十年も変わらずに営業を続けているのは
大したことと思いました。
ちなみに、平和食堂の向かいが生地屋さんなので、ほぼ出来上がったおばあちゃんの
キルトのボーダーになる布を買って来ました。

essay-heiwashokudou

2025年07月21日

パッチワーク作品展

Kさんご夫婦は、ご主人が私と同郷。生家は処分されてもうないのですが、
法事などで帰郷の折りには必ず我が家を訪ねてくれます。
兵庫県三田市にお住まいのふたり、奥さんはベトナム人です。
その奥さんはここ何年か、キルトの制作に夢中です。
この前、たまたま我が家に来てくれた時に、ショップに出品予定だった
1800年代のトライアングルのキルトトップに目が止まり、
気に入って下さって、持って帰られました。
小さなピースの美しいキルトトップです。
そのキルトトップがキルトとなって完成し、この度開催された
Kさんが所属するパッチワーク教室のキルト展でお披露目される事になりました。
これはもう、見に行くしかありませんね。
会場は三田駅前のキッピーモール6階の多目的ホール。
いつもながら、キルトに仕上がったキルトトップとの再会は感激です。
古いキルトトップなので、破れたりダメージのあるピースも多くあって、
それらを1枚1枚修復して、キルトに仕上げました。
キルトトップだけの状態と、キルトに仕上がった時とでは
作品の表情が全く違います。
丁寧なキルティングを入れる事によって、一人前の完成した
立派な作品になります。
ひと針ひと針にキルターさんの人格が縫い込まれているかのようです。
それが、仕上がったキルトを前にして感動する理由なのだと思います。
アメリカでトップのまま眠っている作品の多いこと。
どうして、それらはキルトに仕上げられるとなく中断されたのか、ピースワークで
力尽きたのか、続けられない理由が発生したのか
その理由をあれこれ詮索するのですが、はっきりしたことがわからないのも
またロマンなのかもしれません。
日本のキルターさんたちの卓越したキルティングスキルによって
キルトとして生まれ変わったキルトトップの事を知ったら、
悠久の昔の名前も知らないアメリカのキルターさんたちも感動すること
間違いなしです。
残念ながら場内は撮影禁止でしたので、作品の写真を載せることが
できませんでした。

時間と時間をつなぎ合わせて会「パッチワーク作品展」ーはる・なつ・あき・ふゆ・花もようー
とき:2025年7月19日〜7月23日 AM10:00〜PM5:00
ところ:JR三田駅前南出口正面徒歩1分 キッピーモール6F多目的ホール

 

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2025年02月25日

ショッピングモール2

渥美の中心だったショッピングセンター「レイ」の閉店をこのエッセイに書いたのは
2022年2月28日。
奇しくも、それからちょうど3年後になる今年(2025年)の2月28日に「レイ」が
「あつみの市レイ」として生まれ変わることになりました。
エッセイに「レイ」のことを書いた時は、こんな運びになるとは思っていませんでした。
地理的にも渥美のちょうど真ん中あたりの国道沿いにあって、
廃墟のようになったショッピングセンターの残骸は、あまりいい風景ではありませんでした。
新しい「レイ」は、この建物を壊すことなく改装してスタートします。
コンセプトは「これまでも、これからも」
私の友人がデザインしたロゴは、ほとんどそののままの形で使われます。
すごいなあ、私が中学生の頃にできて、おおよそ50年間地域の人々に愛されて来た「レイ」
が、姿を変えて、これからの50年をめざします。
今は私の孫の代が中学生です。この子たちの50年後はいったいどうなっているのでしょうか。

50年間渥美で愛されてきた「ショップレイ」は
50年後のこのまちにプレゼントをつくるため
「あつみの市レイ」として生まれ変わります

「あつみの市レイ」のホームページから

essay-shoppingmall2

2024年12月01日

万年筆

若い頃は、万年筆で手紙も日記も書きまくりました。
A4のレポート用紙10枚の手紙を書くなんて事も、ざらでした。しかも小さな字で、
びっしりと。万年筆は、とにかく書く事が好きな私に、夫がプレゼントしてくれた
ものです。いつ貰ったのか忘れましたが、たぶん結婚して間もない頃でしょう。
しかし、万年筆が壊れてボールペンを使うようになったのか、ついついお手軽な
ボールペンに移行してから万年筆が壊れたのか記憶が曖昧ですが、万年筆は書けなくなり、
それからずっと机の引き出しの片隅にしまわれたままになりました。
ふと万年筆の存在を思い出したのは、ここ数年を遡る頃。
ネットで調べたら、インクが固まっているだけの事もあるからということで、ペン先
を水につけてみたりしましたが、いっこうに直る兆しなし。それから、また数ヶ月
放置し、なんてことやってました。
ある時突然、真剣に万年筆を直そうと思い立ちました。取り立てて動機があった訳でも
何かがきっかけでそう思った訳でもないのですが、そういう事ってありますよね。
最初は、何十年も前の古い型の万年筆だし、うんともすんとも書けないので
直るかどうか、わからないなと思っていました。
まず、セーラー万年筆のホームページの問い合わせフォームからメッセージを
送りました。返事を下さったのは、担当のTさん。以降、連絡はメールでの
やりとりになるのですが、Tさんはメールの末尾を「今日も素敵な1日をお過ごし下さいませ」
と締めくくるステキな人です。Tさんに万年筆を送って見てもらったところ
現行で同じ商品はないけど直りそうとの事で、それを聞いてほっとしました。
その後、修理の過程で向こうのミスでペン先の玉が飛び(それがどういう事か、
私にはわかりませんが)14金が21金になるとのお詫びの電話があり、
昨日修理が完了した万年筆が届きました。
届いた万年筆は丁寧に梱包されていて、細かいキズがついてくすんだ感じだった
黒色の本体はこころなしかぴかぴかになり、外の金属部分も新しいのに交換されて
金色に輝いていました。修理代金は、1650円でした。
ペン先をグレードアップして、付属の金属も交換し、宅配便での返送、の代金が
これでは安すぎます。何よりも、担当のTさんの丁寧な対応が嬉しかったです。
利益のみを追求する企業とのやりとりで傷つくことが多い昨今、こんなに心温まる
対応をしてくれる会社もあるんだと、幸せな気持ちになっています。

essay-fountainpen

2024年07月09日

半世紀

山肌をジグザグに登って行く「箱根登山鉄道」は別名「あじさい電車」とも
呼ばれています。6月7月になれば、線路の両側に色とりどりのあじさいが
花を咲かせます。
その箱根登山鉄道に乗って、箱根彫刻の森美術館へ行ったのは1975年の7月でした。
彫刻の森は、7万平方メートルの森の中に120点の屋外彫刻が配置された
オープンエアミュージアムです。
私は当時、東京の短大で英語を学ぶ短大生、同郷の夫は同じく東京の予備校に
通う浪人生でした。結婚は、していませんでした。
どういう経緯で、箱根へ行ってみようと思ったのか、よく覚えていません。
ただ、歳を取ると妙に昔のことが懐かしく、ここ数年もういちど彫刻の森へ
行ってみたいという思いが高まっていました。
それも49年前と同じ、あじさいの咲く季節に。
まだよぼよぼではないけれど、同じ年の人が病気になったり亡くなったりするのを
聞くと、「できる時に」という思いはいろいろなシーンで考えます。
それで、思い切っての日帰り旅行。
あの頃と変わったのは、外国人旅行者が増えたことかな。
49年前に撮った写真のデータを持って行って、同じ場所の同じアングルで写真を
撮りました。帰宅後、その写真を見比べて半世紀の歳月の長さを思います。
この写真は49年前のもの。若い子も、いつかおばあちゃんになります。
1930年代のキルトは、誕生から約1世紀ですね。

essay-hanseiki

2024年05月17日

絵本のたのしみ

月刊で発行されていた(今もされている?)福音館書店の「こどものとも」「かがくのとも」
「たくさんのふしぎ」。
子どもが小さかった頃は今のように図書館はなく、近くに書店もなかったので、
お母さんたちのグループでまとめて取り寄せて何人かの代表が人数分をもらいに行って配るという
不合理なシステムが、なつかしい思い出です。
発行された本が毎月届くので、好きな本を選べない反面、思いがけない出会いもありました。
ほりうちせいいちさん、かこさとしさん、谷川俊太郎さん、田島征三さん、佐々木マキさん、
佐野洋子さん、織茂茂子さん、さとうわきこさん、林明子さん。
もっともっと、たくさんの作家さんたち。今は故人となった方もおられますが、
そういう偉大な人たちの偉大な作品をリアルタイムで手にして読んだという事は、ある意味貴重な
体験でした。
絵本がひとつの作品として評価されるとすると、そこに高い芸術性を感じます。
というか、そんな堅苦しい表現よりも、私は絵本が大好きで抱きしめたくなるほど愛おしいのです。
そして、読み聞かせをして育った息子の奥さんは保育士で、一緒に絵本の話ができる
素敵なお嫁さんです。
その嫁が持っている本も合わせて、この度ひとまとめにしました。
数が多すぎて、なつかしい本やらあまり記憶に残っていない本が混在しているのですが、1冊1冊を吟味して
整理しようという計画が今目の前にあります。
今流行りの終活、断捨離と言えない事もないのですが、もっともっと奥深い意味があるような気が
します。人生の中で、絵本は何度も豊かな時間を与えてくれます。
*タイトルの「絵本のたのしみ」は、子どものともについていた付録の冊子のタイトルです。

essay-ehon

2023年10月23日

キルトトップとの再会

この仕事を始めたのはいつだったか、明確に思い出せません。
15年前?20年前?,,,なので、調べてみました。2003年、ちょうど20年前でした。
この頃からキルト&キルトトップを買って下さっていた広島のはりねずみさんが
美術館でご自身が仕上げたキルトの展示をされるというので、行ってきました。
お付き合いは長いけど、お互いに会った事もなく写真を交換した事もなく
まったくの初対面でした。こういう関係が成り立つネット社会は摩訶不思議です。
名古屋から夜行の高速バスに乗って朝、広島駅につき、そこから電車で2時間。
さらにそこからタクシーという強行スケジュールを老いたこの身がちゃんとこなせるかと
心配でしたが、無事に会場に着くことができました。
そこで私を待っていたのは、生まれ変わったキルトトップたち。
ぼろぼろだったキルトもきちんと修復されてそこにありました。
修正されて、きちんと作品になったキルトトップたちは、立派に成長した我が子のよう。
そんな作品と対面しているうちに、はりねずみさんがいらして感動の対面。
それからはキルトの話で盛り上がって、時間も忘れて楽しいひとときを過ごしました。
私のところから巣立って行った他のキルトトップたちも、キルターさんの手できっと
素晴らしいキルトになっていることでしょう。
いつも、こうしたキルトトップたちに会いたいと思っていました。
トップを縫われた遠い時代のアメリカのキルターさんも、日本で美しいキルトに仕上がった
姿を見たら、きっと喜んでくれることでしょう。
時代も距離もあまりに遠くて、キルターさんとキルトの再会は叶わないでしょうが、
素晴らしいお仕事をしてくださる全ての日本のキルターさんに心から感謝します。

はりねずみさんのブログ「はりねずみの小さな暮らしと針仕事」は、こちら

essay-harinezumi

2023年07月23日

糸紡ぎ

思うに時代が進むにつれて、自分でする事が少なくなってきているような気がします。
昔は生活のほとんどの部分を自分でやっていたけど、職業の細分化が進んで
プロに任せる事が多くなりました。
通信も流通も発達したおかげで、例えばネットで欲しいものを探して「ポチ」
すれば、次の日には運送屋さんのトラックが自宅に届けてくれる時代。
結婚式も葬儀も、はたまた介護も、すべて少し前まで家でやっていた事が
今ではほとんど業者任せ。
世の中便利になって、合理的になって、スピーディーになって
ある意味、お金さえ出せば何でも出来ちゃう昨今。
プロに頼めば、素人には出来ない技術で素晴らしく仕上げてくれるけど
こちらの希望と僅かなところで違っていたるする場合もある事がデメリット
です。
そして、プロのような完璧な出来栄えにはない失敗とか
未熟さに却って魅力を感じたりします。
そんなこんなで、いろんなことを下手なりに自分でやってみようと
思ってしまう私です。結果、うまくいくこともいかないこともありますが、
つくるその過程も楽しかったりしますよね。
で今回、無謀にも糸を紡いでみたいと思いました。
友人宅の倉庫に糸車が眠っているのを、実は知っていたのです。
思い切ってお願いして、最初は貸してもらうつもりだったのですが
なんと下さることになりました。
綿の種も蒔きました。
蒔いた綿の種は45粒なのに生えたのは10粒だけ。
アメリカ南北戦争時代の南部の綿花のプレンテーションには程遠い?
糸車だって、どうやって使うのかわかりません。メンテナンスも必要みたいです。
前途多難ですが、やってみなくちゃ始まりませんよね。
糸を紡いたら、次は機織り。機織り機がスタンバイしています。

essay-itoguruma

2023年04月18日

足踏みミシン

固定電話が鳴って、出た相手は兵庫県在住のKさん。
Kさんは私の地元出身で子どもの頃に暮らした家が空き家となって
近所に残っています。
法事の時などに時々やって来て、家の片付けをしているようです。
電話の要件は、「足踏みミシン、欲しい?」
「欲しいです、もちろん!」
私が幼かった頃には家に足踏みミシンがありました。
メーカーは何だったか忘れたけど、黒色の艶々の本体に赤とゴールドの
美しい模様が描かれていたのを覚えています。
当然いろいろな機能などなく、できるのは直線縫いのみ。
でも、すこぶる調子よくこれで学校の家庭科の宿題をやったり
自分で何かつくったりしたものでした。
いつの間にかなくなってしまった我が家の足踏みミシン。
きっと、進学や就職、結婚などで家を離れていた間に捨てられてしまったのでしょう。
古いものに興味を持つようになってから、足踏みミシンは私の憧れでした。
足踏みミシンを販売しているサイトをブックマーク登録して、時々見に行ったりも
していました。
それが、今回向こうから話がやって来たのです。何という幸運!
というわけで、足踏みミシンが家にやって来ました。
ただ、メンテナンスが少々必要でまだ使っていません。

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