高校を卒業して東京の短大に進学した時、最初の3ヶ月は叔父の家から
通学しました。叔父は練馬に住んでいたので、東武東上線で池袋まで出て、
そこから山手線で新宿へ、新宿から小田急線に乗り換えての道のりでした。
1時間を越える通学時間だったと思いますが、高校生だった頃は農道を
てくてく歩いて通学していましたので、見るもの全てが新しくわくわくしました。
特に帰りは池袋駅にふたつのデパート、東武パートと西武デパートががあったため、
そのデパートをぶらぶらして帰るのが日課でした。
たまに気に入るものが目につくと、それを買って帰りました。
そんな私を見て、叔父は「必要なものは買ってもいいが、必要でないものは
買わないように」と釘をさしました。
でも、言い訳する訳ではありませんが、要らないものはそれほど買わなかったと
思います。妖精のような、襟元にレースがついた水色のパジャマは劣化して、
購入後何年か後には捨てましたが、写真のライトはこの頃買ったもの、
それに写真映えしないのでここでは紹介しませんが、やはりこの時代に買った
木目調のゴミ入れは今も寝室で使っています。
思いもかけないものが長持ちします。まさに一生モノです。
その後、通学時間の長さに耐えかねて、学校の近くに下宿しました。
Dee's アンティークキルトショップ | アメリカのアンティークキルト・キルトトップ販売
ディーズ アンティークキルトショップでは魅力的なアンティークキルトの数々を紹介しています。
古い時代のアメリカで愛する人のために1針1針縫われたキルトに、時代を超えて引き継がれる手仕事の温もりを
感じていただけます。
エッセイ
一生モノ
しつけ糸は、エライ
ショッピングモール
私の住む渥美半島は愛知県の南部に東西に伸びる小さな半島です。
南は太平洋、北は三河湾、西は伊良湖水道と三方を海に囲まれています。
半島の旧3町が合併して田原市になりましたが、以前この辺りの地名は渥美町、
その中心は福江で、かつて港町として栄えたところです。
福江港は波が穏やかな三河湾側にあって、つまり半島の北側にあって、
港を中心に商店が並ぶ街道がありました。
肉屋、魚屋、洋服屋、呉服店、文房具店、床屋、郵便局、遊郭のなごりを残す
楼という名のついた旅館などがありました。
そんな商店街に大きな変化が起きたのは1970年頃、町で初めてスーパーマーケットを
含むショッピングモールが誕生したのです。
世の中にスーパーマーケットというものが出来始めて、その波が小さな半島にも
押し寄せたのです。街道にあった個人商店の何軒かが、そのモールに入りました。
以来、このショッピングモールは旧渥美町の消費の中心となります。
私が中学か高校の頃のことでした。余談ですが、このショッピングモールの名前と
ロゴマークを公募することになり、ロゴは私と私の友人が揃って応募したのですが
友人の作品が見事採用されて、私は落選、記念品として石鹸セットか何かもらったと
記憶しています。
しかし、何事も始めがあれば終わりがあり、町にも色々なスーパーが出来始め、
このショッピングモールは今年3月までで姿を消すことになりました。
子どもの頃の商店街の賑わい、その後のショッピングモールの繁栄と衰退を見るにつけ
時代とともに世相も移り変わっていくものだと一抹の寂しさを感じながら思っています。
おばあちゃんのキルト小さいバージョン
もう何年も前から縫っている、おばあちゃんのキルト。
私の祖母が遺した布に黒の木綿を足して、三角繋ぎにしてみました。
トップだけ仕上げてそのままになっていたのを、1~2年前からぽつりぽつりと
キルティングを始めました。
実は、このキルトにはおまけがあって、同じパターンで小さいバージョンがつくって
あったのでした。(トップのみ)
やはり祖母に可愛がられていた私の娘にと思ってつくってみた小さいバージョン
全て思いつきで行動する私が思いつきで去年のこと、クリスマスプレゼントにしようと
大きいバージョンのキルティングを中断して、10月頃からこちらのキルティングを始めました。
クリスマスまでには余裕で仕上がると思っていたのですが、年末が近づくにつれて
雑用が増えて、イブに間に合いませんでした。
25日が本当のクリスマスだからいいかと、勝手にこじつけて1日遅れで送りました。
ショップに来てくださる皆さんは、優れたキルターさんばかりなので
写真をアップするのもはばかられましたが、見て笑って下さい。
そういえば、慌てていたので写真を撮るのがやっと、完成した時のサイズも計っていません。
娘には捨てられるか返されるかと未だ心配です。
イギリスのアンティークドア
家族との間でちょっと気まずいことがあって、プチ家出よろしくひとり京都行きの列車に乗りました。
かねてから行きたかった京都のウエリントンさん、アンティークドアの専門店です。
この家に引っ越す何年も前、セルフビルドまたはハーフビルドで家を建てたいという夢がありました。
いろいろな事情でその計画が頓挫して、今の中古住宅を購入することになったのですが、
その頃はまだ、家のためのいろいろな建具や部材を探している時でした。
京都駅から伏見区のウエリントンまでは、とても遠くて電車やバスを乗り継いでやっと
たどり着いたのを覚えています。
お店に入り、いろいろなドアを見て回るうちに、あるドアの前で足が止まりました。
美しいドアでした。このドアのほか無いと思いました。
そういうことって、アンティークキルトとの出会いでもありますよね。
私が考えていたのは、このドアを玄関ドアに、ということでしたが店員さんに聞いてみると
室内用のドアとのことで、それでもメンテナンス担当の職人さんに玄関用としても使えることを
確認してくれました。
その後、最後の調整を経て家に送られて来たわけですが、購入したこの家で結果室内ドアとして
使うことになりました。
取り付けてみると、最初からここにあったドアのようにしっくりと馴染んでいます。
イギリスからはるばる海を渡ってやってきたこのドア、以前はどんな家でどんな家族の会話を
聞いていたのかと想像するのは、アンティークのキルトが縫われた経緯を想像するのと
似ています。
フレンドシップキルト
私が住む田原市はアメリカのジョージタウン市と姉妹都市で、田原市の
キルターさんはジョージタウン市のキルターさんと交流があります。
何年か前にジョージタウン市のキルターさん数人が田原市を来訪した時には
私も歓迎のパーティーに参加させていただきました。
今回、姉妹都市提携30周年を記念して、田原市からジョージタウン市へ
キルトのパーツが送られることになりました。
その展示が田原市の図書館であり、全部で171枚のキルトブロックがパネルに
貼られた状態で公開されています。(男性の市長さんの作品もあります!)
今後、市内の他の図書館2館を巡回します。
手仕事は心仕事、遠く離れたジョージタウンの人々に友好の気持ちが届きますように。
エッセイを本にしました
曼珠沙華
「綺麗なオハナが咲いているよ」と孫が指差す先を見ると、燃えるような赤の彼岸花。
「その花はね、採って家に持ち帰ると、家が火事になるって子どもの頃に言われたのよ」
と、つい口に出てしまいました。
そんな事あるわけないじゃん~、っておおよそ言い伝えとか迷信とかは信じない私は思うのですが、
この妖艶な花には、そんな怪しいエピソードが似合う気がして、
ちょっと怯んだ孫を見て、よしよしと内心満足しました。
秋になると、そこここの田んぼの畦を赤く彩る曼珠沙華の花。
昔からの言い伝えは根拠のないものも多々あって、近代の科学の進歩の裏でだんだんと消えゆきます。
そんな言い伝えのひとつふたつぐらい、残ってもいいですよね。
新美南吉の「ごんぎつね」を思い出す花でも、あります。
*後で調べたところでは、根の部分に毒があるそうです。
アイロン
保証書には昭和52年6月10日の記載があります。学生の頃に秋葉原の電気店で購入したものです。
ネットなどない時代ですので、お店で他のアイロンと見比べて、ベストと思って決めました。
大切に使い、使い終わるとオリジナルの紙箱にしまっていましたので、、毎回コードの同じ箇所が曲がって、ついにコードを巻いている布カバーに穴が開きました。
それでも使い続けていたのですが、さすがに何とかしなくてはと思うようになって、
アイロン自体の性能は全く問題ないので、コードだけ替えられないかと考えました。
古いものなので、ほとんど不可能とも思いましたが、ダメモトで製造元の日本フィリップスに
電話をしてみました。
答えは予測し得たことではあったのです。もちろん、部品は今はなくコードの取り替えは不可、その上危険なので使わないようにとのお達し、さらに出来れば製造元へ送り返して欲しいと言われました。事故があった時の責任を免れたいのでしょう。
一旦は断ったのですが、線がむき出しになっているのを見た家族からいかにも危ないと言われて
新しいアイロンを買うことにしました。
このフィリップスのアイロンは、依頼通りに製造元の日本フィリップスに送り返すことにしました。
長い間愛用して来たアイロン、子どもたちのリュックを作ったり、エプロンを作ったり、さまざまなシーンでよく働いてくれまさした。「お家」に帰って、ゆっくり休んでね。
ちなみに、フィリップスはオランダのメーカー、今はアイロンはつくっていないそうです。