エッセイ

2020年08月03日

アイスクリーム会

食べることが大好きなメンバー数人がなんとなく集まってできた、食べ物クラブ。
それほど本格的な活動はしていませんが、夏のイベントは我が家でのアイスクリーム会。

5種類ぐらいのアイスクリームをつくって、それぞれにアレンジします。
今年は、バニラアイスのクリームソーダ、抹茶アイスのよもぎ団子とアズキ餡添え、
ラムレーズンのコーンカップ、チョコレートのパフェ、それにこのアイスキャンデー。
キャンデーの型は3層になっていて、次々に凍らせると出来上がります。

次なる集まりは12月のケーキ会で、ケーキづくりが得意な別のメンバーが
腕を振るいます。

自宅でおいしいものを食べるのはささやかな楽しみですが、
今後のコロナの行方が分からなくて心配です。

 

essay-icecream

2020年06月07日

はんだい

飯台…「めしだい」じゃなくて「はんだい」と読みます。
子どもの頃、ご飯を食べていたテーブル。
も少し新しいテーブル(←これも、どこかで回収して来た)を置いてみたんだけど、
どうもしっくり来なくて、これに落ち着きました。

半世紀以上、使われ続けた「はんだい」
昔の記憶が次々と蘇ります。
全国的にこう言っていたかどうか定かではないのですが、
残った食べ物を入れておく「はいちょう」、これはキャビネットのようなもの。
食べ物が傷まないように、引き戸は網になっていました。

食器の数はあまり多くなかったのですが、いつもテーブルには唐子の模様の
取り皿があって、「おてしお」と呼んでいました。
人気アニメのイラスト入りの子ども用ご飯茶碗に、花模様などがついた
ピンクのプラスチックのお箸。

物心がついた頃、ご飯は「おくど」で、炊いていました。
保温できるジャーはまだなくて、炊き上がったご飯は「おひつ」に入れていました。
冬はご飯が冷めないように、おひつを藁で出来たカバーに入れていましたっけ。

壁には「食べ合わせ」のイラスト入り一覧表。
これとこれを一緒に食べると、お腹が痛くなりますよ。
かき氷と天ぷらだったかな~、他はよく思い出せません。

そうそう、と思って下さるあなたは、私と同年代?

essay-handai

2020年02月07日

お皿

子どもの頃、カレーライスを食べたお皿です。

陶器というものに造詣がないのでよくわからないのですが、
戦後ノリタケなどの有名な窯を模して、街の小さな窯でつくられたものでしょうか。
裏を見ると、聞いたこともないような刻印(プリント)があったり、何もなかったり。
決して良いものとは言えないのですが、模様が微妙にずれているところもまた
愛らしかったりします。

このチープなかわいいお皿は、ひとつのカテゴリーを形成していて
このシリーズが好き、という人が私の他にいてもいいと思うのですが、
なぜか愛好家が集まったり、ブームになったりしません。

ただひとり、そうひとりでひっそりと「このお皿が好きなの」とつぶやいて
食器棚から取り出して、カレーを食べるのです。

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2019年10月15日

大草原の小さな家

「大草原の小さな家」が再放送されています。
最初にテレビで放映されたのは1975年で、その後も再放送があったと記憶しています。
かつて家族の誰かが何となくその番組を見ている前を通り過ぎたことがあったのですが、
別段足を留めることもなく、一緒に見入ることもなく、つまり興味がなかったのだと思います。
それが、今回は私の心を惹きつけました。
番組は変わってないのに、変わったのは私のほうなのでしょう。
キルトに出会ったのも、大きな要因と思います。
ストーリーには素敵なキルトが度々登場します。
物が乏しかった時代、布は貴重でした。そして、端切れを寄せ集めてキルトを縫うのですが
キルトに限らず、普段身につける服から家庭の中のさまざまなものまで、
主婦は全て手作りしなくてはなりませんでした。
縫い物をしたり、料理を作ったり、(牛が手に入った時、「これでバターが作れるわ」と言って
います)は妻の仕事。家を建てたり(ログキャビン!)、畑を耕したりは夫の仕事。
それぞれが、それぞれの仕事を見事にこなして、助け合って、お互いを尊重して毎日を
暮らしています。
そして、その底辺には「信仰」が大きな役割を果たしています。
人が今より自然に近かった時代、神様にもより近かったのでしょう。
信仰なしではやっていけないほど、開拓時代の暮らしは厳しかったのだと思います。
人の力ではどうしようもない自然と向き合う時、人は神にすがるしかありません。
その信仰が家族をひとつにまとめていた、とも言えると思います。
今よりうんと不便な時代だったけど、美しい自然と愛に満ちた日常が現代を生きる私たちの
心を動かすのでしょう。

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2019年07月05日

夕陽

農業は明るい時間が勝負の仕事です。
なので、日没まで家に帰れません。
ともすると、日没後も作業場で翌日の出荷のための仕事をすることもあります。
たまには早く帰ろうよ、となった時にはラッキーにも晴れていると、2階の窓から山の稜線に沈む
夕陽を見ることができます。
茜色の空がだんだんグレーになっていくその一刻一刻は愛おしくて、
ガラスの中に閉じ込めてしまいたいと思います。
これまでのこと、これからのことに思いを廻らせ、時間の軸の今という点にいる私を再認識する時間。
そんな時間が、好きです。

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2019年04月06日

1本の桜

今年も会いに行って来ました。
市役所の支所の坂を下ったとことにある、1本の山桜。
美しい純白の花を枝いっぱいにつけて、青い空に大きく枝を広げ、風にそよいでいます。
凛としたその風情に、心を動かされるのです。
いつからそこにあるのか、以前は見る人など誰もなく、ひっそりと咲いていたのでしょう。
数十年前にこのあたりが開発されて、市役所やホールが出来て道路が通り
この桜の脇を車が行き交うようになりました。
私もその道を通って、この桜と出会ったひとりです。
見る人誰もを感動させる、見事な桜の木。
この季節になると地域の人々の静かな話題となります。

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2019年02月01日

水仙

今の家に引っ越して、1年が経ちました。
引っ越した時に迎えてくれた水仙が、今年も花をつけました。
水仙の控えめな佇まいと、ふくよかな香りが大好きです。

あれから、前の住人がお庭に残してくれた球根類が次々に花を咲かせて
嬉しいサプライズが続きました。
その時々の花々が私たちを癒して元気づけてくれました。

この庭を眺めながら年を重ねられることの幸せを思います。

essay-suisen

2018年06月12日

フロアランプ

2016年4月にエッセイに投稿したT医院の友人のお母様は、去年の今頃にご病気で亡くなりました。
(2016.4.22「昭和レトロ」)
最期まで、広い自宅兼医院を管理され、芝生の手入れを行き届かせ、ひとりで何でも
された人でした。
その姿を、私も見習わなくてはと思ったものです。
亡くなる前の約1年は娘である友人宅で過ごし、今考えると身の回りのものを整理されて
逝かれたのだと思います。
先日1周忌に友人がこちらへ来られた際に、お母様が愛用されていたフロアランプを私にと
持って来てくれました。
医療用のもので、とても素朴でシンプルなライトです。
形見となってしまったそのライトを、部屋の片隅にひっそりと置きました。

 

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2018年04月01日

チャック先生

去る3月29日、名古屋市で開催された「キルト&ステッチショー」で
野原チャック先生のトークショーがありました。
チャック先生は名古屋には何度か来られているようなのですが、私のアンテナが低くて
情報をキャッチできていませんでしたので、今回たまたまこのイベントを知ったのはラッキーでした。
そう、テレビの「なんでも鑑定団」で私のアンティークキルトを鑑定していただいた時
以来の再会です。

約30分のトーク。
チャック先生の日常のお話しや、キルトに至るまでの昔のお話しの中で
「良いキルトをつくって残しなさい」という言葉が印象的でした。
私と一緒にチャック先生のお話しに耳を傾けていた大勢の聴衆のみなさんも
それぞれ何かを持ち帰られたのではないでしょうか。

トークショーの最後に持参した花束を手渡し、その後で先生のアンティークキルトの本に
サインをいただきました。
良い一日でした。

essay-chuck

2018年01月30日

引っ越し

10数年来、思い続けた引っ越し。念願叶って、近所に中古住宅を購入しました。
Dee’s アンティークキルトショップはネットだけのお店ですので、
直接影響はないのですが。

アンティークのキルトが似合いそうな、古い家です。
今のところ、引っ越しの段ボールに埋まって生活しています。

落ち着いたら、またぼちぼちとキルトを紹介していきますので、
もうしばらく、お待ち下さいね。

 

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